理学療法士の多様化する働き方を実現するキャリアマガジン「コメット」

2022.02.18 スポーツ

格闘家にして理学療法士 奇跡の再起動

#トレーナー#フリーランス

田村彰敏(格闘家)

元格闘家でミャンマーラウェイ史上初、外国人として現地強豪選手に勝利。
総合格闘技の修斗でライト級2冠を達成。
その後の試合のダメージにより生死を彷徨った経験を持つ。
格闘家をしながら理学療法士としての資格を取得し、
今も尚、様々な分野で活躍する田村さんの過去・現在についてお話を伺った。

田村 彰敏(タムラ アキトシ)

第2代修斗環太平洋ライト級王座 第6代修斗世界ライト級王座 資格: 理学療法士 著書: オレの好きな48のファイトスタイル: 格闘家にして理学療法士 奇跡の再起道!(BABジャパン, 2019)
田村彰敏さん 1日のスケジュール

大人びた幼少期〜中学生時代

「最初に田村さんの生い立ちを教えて下さい。」

父は元マルハの船乗り、 母は看護師。弟がいます。

1980年5月31日兵庫県にて生まれ、父は元マルハの船乗り、母は看護師。弟がいます。
幼少期は、自分で言うのもなんですが、少し精神年齢が高かったように思います。絵を描くことが好きで、よく描いていたのと少年野球をやっていました。

子供のころになりたかったものは何でしたか?

プロレスラーになりたかったです。

僕は子供になりたいものを問うよりも好きなことを聞いたほうがいいと思っているんです。何故なら、好きなことがイコール、やりたいことや
なりたいものだと思うからなんですよね。
小学校6年生からプロレスが大好きで夢中で見ていたのでプロレスラーになりたかったです。当時は新日本プロレスが闘魂三銃士の台頭、全日本プロレスが四天王時代。僕は蝶野、川田、スティーブウイリアムスが好きでした。
プロレスはガチではないと批判する人がいますが、それは違います。
身体を張った凄いエンターテイメントです。観戦に出向くほど夢中でした。「UFC」は中1から始まったのをよく覚えています。」

とにかく練習が大変だった高校時代

田村さんは柔道の名門である、習志野高校柔道部へ行かれたそうですが、柔道を始められたきっかけは何でしたか?

プロレスラーに柔道経験者が多かったのと、グレイシー柔術が出てきたのがきっかけで柔道を始めました。

プロレスラーに柔道経験者が多かったのと、グレイシー柔術が出てきたのがきっかけで柔道を始めました。

高校3年間は、とにかく練習が大変でした。夏休み3日と年末年始3日しか休みが無かったです。夏休みには合宿が3回もありました。

前人未到を成し遂げたプロ格闘家時代

その後はどう進まれたのですか?

2001年にプロとしてデビューし、 2004年にはミャンマー・ラウェイで 外国人史上初、現地強豪選手にKO勝ちしました。

2001年に津田沼道場よりプロとして修斗デビューし、2004年にミャンマーで開催されたラウェイのリングに上がり、外国人史上初、現地強豪選手にKO勝ちしました。
ミャンマー・ラウェイは、グローブ無しで、バンテージのみ拳に巻いて闘う特殊な競技なので、内心やりたくない気持ちはありました。
でも、その時の道場の雰囲気が、当時の先生の言った事に対しては押忍としか言えない感じだったので、押忍で現地まで行きました(笑) 

田村さんの原動力はどこから来られているのですか?

僕は死ぬことがすごく怖いんです

僕は死ぬことがすごく怖いんです。でもだからこそ、やってやろうと思っています。 恐怖心が原動力になっているのかもしれませんね。

生死を彷徨った試合中の事故、闘病生活〜奇跡の生還

2017年に試合中に受けたダメージで生じた「急性硬膜下血腫」により 生死を彷徨ったと田村さんの本にありましたが、闘病生活はどのようなものでしたか?

一時的に右手足の麻痺や視界に異変が出て失語・失行などに陥ってしまいました。

開頭手術後、経過は良好でしたが、脳がオーバーヒートし、てんかん発作を起こしてしまい、一時的に右手足の麻痺や視界に異変が出て失語・失行などに陥ってしまいました。

衝撃的過ぎてなんと申していいか・・・。よくここまで元気になられましたね!

病院の先生や看護師さん、家族のおかげです。

特にうちの奥さんは一生懸命に寄り添ってくれました。
今の僕がいるのはうちの奥さんのおかげですね。僕が絵を描くことが好きだからと入院中にスケッチブックを持ってきてくれて、絵を描くことでたくさんの生きる希望が持てた気がしましたから。

現在・・・そしてこの後の人生

九死に一生を得て2018年格闘技界を惜しくも引退をされましたが、 心残りはありませんでしたか?

心残りはありません。格闘技は中毒性が高いですからいい区切りでした。

格闘生活に心残りはありません。格闘技は中毒性が高いですからいい区切りでした。
僕は過去の自分に戻って、技術面でも精神面でも言いたい事があるので、これからの選手にソレを伝えていきたいです。コロナが落ち着けば
格闘技セミナーもまたやってみたいです。それと修斗やUFCのテレビ解説もやってみたいです。
人生において楽しく、一生懸命が大切だと思います。僕のできる事を僕なりに、格闘技と関わっていけたらなと思います。

現在の活動を教えて下さい。

昼はデイサービス、夜はフリートレーナーとして働いています。

今はフリートレーナーとして、昼はデイサービス、夜は津田沼道場とファイトファームで働いています。
その他の活動としては、千葉県立美術館で9月7日〜9月20日(13日休館)まで開催される千葉デザイン展に出品します。
デザイン展内でミニ個展も開催予定です。

田村さんはとにかく多才なお方ですね。今日はありがとうございました!

あとがき

今回、田村彰敏さんへ取材をさせていただいたが、元々リングの上で闘争心むき出しの格闘家だったとは思えないほど物腰がやわらかい雰囲気なのに、ひとたび話すと芯があるお方でした。

人間はいろんな才能を持って生まれるけれど、その才能を発揮できずにいる人も多いだろう。田村さんは真面目に格闘技に取り組んできた努力家で、その一方では絵を描くことが好きなアーティスティックな一面を持つ、多才な方だった。
今後の活動にも目が離せない。
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