理学療法士の多様化する働き方を実現するキャリアマガジン「コメット」

2022.07.24 起業

地元・みちのくで腕を振るうトリプルライセンスホルダー

#セラピスト#トレーナー#理学療法士#経営

山内 雄造(山内接骨院花巻院長)

郷土愛・家族愛で支え合ってきた地元・岩手の「山内接骨院」。専門性の高い免許を取得した矢先、3.11東日本大震災により故郷の街が被災し、壊滅状態に・・・ガレキの山と化した実家の接骨院を見て、絶望感に襲われながらも「復興」を誓って歩み続けてきた半生。
山内 雄造(ヤマウチ ユウゾウ)

岩手県柔道整復師会常務理事
日本ハンドボール協会トレーナー部会東北ブロック委員
Ponzu.Lab代表
資格:理学療法士、柔道整復師、JSPO-AT
趣味:ひとり旅、城址巡り、ポン酢収集、ブラジリアン柔術

トリプルライセンスホルダー・山内院長!!

山内さんは、理学療法士やアスレティックトレーナーの資格を有した上で、接骨院の院長をされているのですね?理学療法士の資格では、開業しづらいという理由から柔道整復師を取得したのでしょうか?

父が、岩手県北上市で接骨院を経営しているんです。時系列で言うと、最初に取得したのは理学療法士なのですが、実家で働く都合もあったので柔道整復師も取りました。

ご実家が接骨院とのことですが、柔道整復師でなく理学療法士も取った理由は、なぜですか?

父が、「ケガを評価する方法とリハビリの知識があったほうが、患者さんの身体のことを深く診ることができる。」とアドバイスしてくれたからです。

高校在学中に進路を決める際に、柔道整復師・理学療法士・体育学部に入ってトレーナーになるという3つの選択肢があったんですね。進路で悩んでいたのですが、その一言で決断しました。

接骨院をされていたお父様のお薦めなら説得力がありますね?
そうですね。やがて、他の2つの道にも進むことになるのですけどね。

大いに楽しんだ大学生活

では、高校卒業後に、理学療法士の養成校に進学されたのですね?

はい。栃木県大田原市にある「国際医療福祉大学理学療法学科」へ進学しました。在学中は、高校でもやっていたラグビー部に所属しました。

長期の休みには、栃木から歩いて京都に行ったり、ヒッチハイクで九州まで行きました。

あ、歩いて京都に!?なぜ??どれくらいかかるんですか?

約1カ月かかりましたね!

大学のある栃木県を国道4号線が走っているんです。「4号線を辿ると、どこまで行けるんだろう?」と思って歩いてみたんです。実際に行ってみたら、東京・日本橋に辿り着きました。日本橋からは国道1号線が出ていたので、「今度は1号線を歩いてみよう!」と思い立ったんです。

途中、橋の下や歩道橋に野宿しながら、ひたすら歩き続けたら京都に着きました。時間さえかければ、行けるものですよ!

道中、危険な目には、遭わなかったですか?
財布や大切な物は、抱え込んで寝ましたけど、危険な目に遭うことなんてなかったですよ。改めて、日本は平和な国だな~と思いました。

大学卒業後は、どのような進路に進まれたのですか?

スポーツの仕事に関わりたいという思いもあったので、更に向学するために筑波大学大学院体育研究科に進学しました。

しかし在学中に実家のスタッフが退職して人手不足になったため、大学院を休学して父が営む岩手県山田町にある接骨院で働くことになりました。

尊敬する父の右腕として

その流れで、接骨院でのお仕事をされるようになったのですね?

はい、そうです。父のことを尊敬していましたし、あらゆる局面で助けられてきたので、力になれて嬉しかったです。

自分の能力を家族や地域の人たちのために活かせるのは、この上なく喜ばしいことですね。それから父子鷹で接骨院を切り盛りしていくのですか?

柔道整復師免許を取得した弟が実家に帰ってきたので、今度は私が柔道整復師の養成校に通うため上京しました。昼間は訪問リハビリの仕事をし、夜間は柔整の学校に通う日々を過ごしました。

そしていよいよ卒業式を迎えるはずだった2011年3月12日の前日、3.11東日本大震災が起きました。実家の接骨院があった岩手県山田町は深刻な被害を受け、壊滅状態となりました。

ご実家も被災されてしまったのですよね・・・?

津波の後の火災で、残されたのは玄関先にあった手摺だけで、実家は跡形もなくなってしまいました。

家族で築き上げてきた接骨院がガレキの山と化した状態を見て、言葉を失いました・・・。
それでも家族で再建を誓い、震災の年の8月には岩手県北上市に山内接骨院を移転して再開しました。それが現在の本院となります。

家族と歩んだ「復興」の道

被災後、山内さんご自身はどのように生活されたのですか?

当時、神奈川県川崎市の整形外科クリニックや訪問リハビリ、トレーナーの仕事をしていました。

この間に、再建した本院では順調に患者さんの信頼を得ることができ店舗を増やすこととなったので、2013年に岩手に帰ってきました。その後2014年4月に現在の花巻院を開業し、現在に至ります。

トレーナーとしての活動とその在り方

山内さんはスポーツ分野に関わりたいという思いがあったそうですが、接骨院でスポーツ選手の治療もされているのですか?

接骨院にはスポーツ選手だけに限らずにいろんな患者さんが来ます。

スポーツ分野への関わりとしては、岩手に帰ってきた2013年から2019年まで岩手県立不来方高等学校男子ハンドボール部のトレーナーをしておりました。

山内さんはラグビー部だったとお聞きしましたが、なぜハンドボールのトレーナーになられたのですか?

自分がやってきた競技だと内容を詳しく理解できてはいますが、かえって余計な指導をしてしまいがちだと考えたからです。

競技指導は監督やコーチがすることで、トレーナーの域を超えてすべきではないと考えています。指導も求められている場合はそれでも良いかと思いますが、自分はトレーナーとしての役割に徹したかったんです。

トレーナーがその競技をやっていた場合、つい口を出してしまいたくなりますよね。役割に徹するために、敢えて別競技にされたのですね?

はい、そうです。私が、トレーナーとして携わり始めた初年で、不来方高校は全国大会で優勝を飾りました。

その後人の出会いに恵まれ、ハンドボール日本代表及び日本代表ユース代表のトレーナーとしても活動させていただきました。

理学療法士が、スポーツ分野の仕事に関わるコツは??

理学療法士の中で、「スポーツ分野に関わりたいけど、実現できていない」という話を耳にすることが多々あります。スポーツ分野へ繋がるコツってありますか?

スポーツ現場だけでなくセミナーや勉強会、懇親会などに足繫く通うフットワークの軽さは必須ですね。

そこで自分の存在をアピールしながら情報収集をしていくと、思わぬ御縁に恵まれることもあるかと思います。自分の興味を持っている分野だけでなく、別分野の勉強会やコミュニティに参加することは視野を広げることができます。自分がやってきた競技だけでなく、世の中にはさまざまなスポーツがある訳ですし、違う分野に挑戦してみることで、新たな道も開けてきます。

その上で、人との繋がりを大切にすることが、進みたい道を開くコツなのではないかと思います。

これからについて

山内さんの後の展望をお聞かせ頂けますか?

今まで以上に向学しながら、接骨院とトレーナーの仕事を続けていきたいです。

それとスポーツ分野の仕事に関わりたいという若き理学療法士や柔道整復師がいたら、道を拓くお手伝いをしていきたいと思っております。
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